FEZお疲れ様でした

2022年9月28日15時01分、FEZサービス終了。
2006年のサービス開始から実に15年。ネットゲームとしては大往生といっても良いのではないだろうか。と、同時に、15年以上続いているようなネトゲは今でもサービスを継続しているものが多く、その中に入ることが出来なかった、その程度のゲームと言えるかもしれない。

◇心残り
最もゲームが盛り上がっていた時期に十全にゲームを楽しめる環境になかったことだろう。しっかりと夜に活動出来なかったのが痛すぎた。特にバンクエットに関してはきちんとやってみたかった。2009年頃にバンク勢から誘われたりしていたのだが、ゲームのプレイ時間が安定しなさすぎて泣く泣く断った。
鯖合併後はもっと交流増やしても良かったな。結局2009~くらいからほとんど同じメンツでしかゲームしてないのがね。

◇FEZの良かったところ
カジュアルに遊べるけど、やはり戦場で特徴のある、上手いプレイヤーは印象に残る。そんなところが好きだった。C鯖に関しては人口が少なすぎてプレイヤー名見た瞬間にPSからスキル構成、勝敗の予想までほぼわかるレベルだった。
良くも悪くもサービス終了まで完全に代替となるゲームは生まれなかったな。対人に特化した人はLoLに流れたし、まったりやる人はFFやPSOに流れたので役目をある程度終えたのはあるだろうが。

◇FEZの悪かったところ
ゲームの勢いが落ちてきた鯖合併後・スクエニ移管後くらいからはアプデの内容が個人的にはあまり良くなかった。
特にマップ関係は運営に開発力がないのだろうなということが伝わってくる感じで、後から増えたマップは初期からあるマップと比較してしょーもないマップばかりだった。最終的に前線が近いタイプのマップばかりになり、そういうところでしか戦争も起きなくなっていった。
メタもあまり変化がなく、たまに修正があったかと思えば今までの面白さを削ぐような弱体修正ばかりでゲームがどんどんつまらなくなっていく印象が強かった。

◇思い出語り
一応時系列で記載してるけど、細かい時期まで正確に覚えているわけではないのでその辺は適当で。特に細かいスキル修正の時期とかは全然覚えていない。
人名や部隊名など出していますが敬称略。

◆2006年
小学校の塾からの友人が “FEZ” というゲームが最近始まってさ~みたいなことを言ってくる。彼の誘いで “コンチェルトゲート”をプレイしたときは全然面白くなかったので聞き流す。

◆2007年
その後も何度かFEZの話は聞いていた。自宅に戻って少し時間があるタイミングで彼の言葉を思い出し、なんとなくゲーム開始。春~夏くらいの頃だっただろうか。自分は結構予習してからゲームプレイするタイプなのでwikiを読んだところ、ヲリがいいらしい、ヲリがこのゲームの基本、おすすめ的なことが書いてあった。中でも両手は機動力に優れており~みたいなことが書いてある。よし、これだ。Cカセにて両手ヲリで開始。今考えるとかなり悪手だった。
ゴブリンフォークだかで20レベルくらいまで狩りした。自分は当時寮生活でPCを触れるのは自宅に帰る土曜夕方~日曜昼までだったので戦争に行くまでに1・2週間くらいかけた記憶がある。
最初は裏方をやっていたのだろうか。正直良く覚えていないが、多分ちょっとクリ堀専やナイトをやっていたのだろう。自分は金銭的には困っていなかったのでレベル25になるとすぐに課金装備一式を揃えた。エレガンス+ルカヌス。その後は裏方放棄で完全に前線しかしていなかった。
当時よくゲームをしていた同級生がFEZ触ってみるというので、訓練場で基本的な流れを説明していた所、♪hunter♪(ここあちゃん)が入ってきて、そのまま流れで勧誘されて “どらごん★ふぉーす” に加入した。当時はわからなかったが、所謂エンジョイ部隊。だがその中にも1人2人くらいはそこそこ上手い人がいるもので、そういう人らを目標にしていた。両手ヲリはかなり勉強したのだが上手くいかなかった。前の記事に貼ってあるが、10キルもしくは10kくらい出せたら嬉しくてSSを取るレベルだった。俺の目標は13k出すことだった。
ゲームに少し慣れてきた頃(秋~冬)、弓スカウト、そしてEネツに火皿を作った。適当にアローレインを垂れ流しているだけで、適当にヘルとランスを撃っているだけで、初プレイで簡単に20kが出た。与ダメランキングに名前が載った。敵がスキルを振るのを待って、足を止めた的に後出しでスキルを撃てば簡単に当たるのだ。それまではあくまで週末自宅に帰った際の暇つぶしの一環というか、他のゲームより優先度が高いとかは全く無かったのだが、この辺から一気にFEZを面白く感じてきた。それと同時に俺が下手なんじゃなくて両手ヲリがただゴミなんじゃないか、俺が今までやってたのはなんだったのか、という気持ちにもなった。俺は当時から強キャラ厨だった。MHPでは片手とランス、スマブラDXではシーク、連座2ではカラミティやフォビが好きだった。しかしFEZのwikiに両手がゴミとは書いておらず、むしろオススメ的なことが書いてあった。
2007年が終わる頃~2008年頭くらいだろうか、部隊長が引退し、 “For★everyone”という部隊をジャンクドールが結成。今だから言えるが、おそらくリア♀と思われるメンバーを多く引き抜くような形だった(と俺は思っている)。俺も当時ジャンクドールの両手を目標にしており、部隊を移動した。
当時Cカセは野良主体の時間は弱く、GTくらいになるとガチ部隊の活動が増えて夜は領土を広げる、そんな感じの印象だった。

◆2007年環境の話
当時はまだ課金装備を揃えているプレイヤーが当たり前という感じではなく、ただで貰えるにしてはそれなりの性能だった部隊服を配布するためだけの部隊が存在した。まだヴィネル島に何もなく、クラスチェンジ・エクリプスもなかった。確かどれも夏の終わり~秋くらいに実装されただろうか。ゲームとしてはまだ意識の高い人以外はハイエンチャしておらず、当時のプレイ動画はリジェとパン・ベーコンでプレイしているものが多かった。しかしC鯖はおそらく全鯖の中でもエンハイ率は高い部類だったのではないだろうか。おそらく武道エンチャをしているプレイヤーは野良レベルではまずいなかった。
この頃はとにかくソーサラーが強かった。特にブリザードカレスの性能がイカれており、広範囲、詐欺判定、高燃費、異常に長い凍結、凍結耐性が凍結開始からスタートするので自然解凍後すぐに凍る、と最強だった。戦場は最強の氷皿と火皿を中心に動いていた。主戦場レベルでは両手は事実上、火皿の超劣化版のようなジョブだった。
俺が始めた頃に自分のプレイ動画をStage6にアップするプレイヤーが丁度現れ始め、かなりの数の動画を見た。
両手の基本はHP・コストの交換、みたいなことをぴろむが言っていた。味方がチャンスメイクしてくれたところに確実に追撃し、あとは敵両手とのHP交換を行うようなスタイルで高キル・15kくらい出していた、そんな感じの動画だった。実践してみた。スタンへの追撃はしているが、所詮それではそこらへんにいる人達とのただの奪い合い・運ゲーになる。また、C鯖環境ではそもそも両手同士がHP交換をするような状況にならなかった。当時はわからなかったが、今考えると正直あの時代の両手の動画の大半はゴリゴリの接待動画、もしくはダガー島で死にながら適当に餅ついているだけの動画だった。カセドリアはダガー島から最も遠かった。
リオシルバが裏オベ周辺で無エンチャに一生ストスマスマして、敵が多く連れたら裏オベにストスマして逃げ続けて20キル20kくらい出してる、そんな動画も見た。俺の求めるゲーム像とはかけ離れていた。
両手の高スコア動画は圧倒的にD鯖の比率が高かったように思える。結局のところ、当時の両手ヲリは火皿と比較するとゴミで、その上で火皿に弱いので使う価値の無かった雑魚ジョブだったのだろう。その事をゲーム開始時に俺に教えてくれるプレイヤーがいればもっとこのゲームを楽しめたかもしれない。
最初の公式バンク大会が行われたが、自分のアンテナ感度が低かったせいか、バンクをやっていた人間がエンジョイ部隊では周囲にまったくいなかったせいかわからないが、そこまで盛り上がっていたという印象はなかった。当時は少数のチームを結成というよりは部隊員などで出場した人が多かったのだろうか。D鯖チーム、“Starshipです”みたいな名前だったと思う。そこが優勝したという話は聞いた。かの有名な動画もこの時代のもの。

ちなみにこの動画の自軍短剣の “おっちゃん” ことHoneyTea(おちゃ)と2009年頃によくゲームをしていたのだが、当時トゥルー鰤だったらしい。動画だとトゥルー一度も撃ってないけど。
ブレイド・リリクト・アサルトだったか?新ジョブの話もこの頃には出ていた。

◆2008年
FEZへのモチベが高く、この頃からFEZ SNSなどでの情報収集も増えてきて、各鯖の特徴というか空気感もわかってくるようになっていた。
Cカセでは1ヶ月限定で合同部隊Casedriaなるものが活動していた。俺は参加しなかったが・・・
高スコア動画をよく上げていたBゲブのoisuが中級者育成部隊?という名目で部隊を結成するという情報があり、俺としては結構勇気を出して入れてもらった。ただ正直ここで実際に何かを目標にして動いていたという感じは皆無で、適当に戦争行くだけの部隊という印象だった。俺もFEZに割ける時間というのは相変わらず週末の数時間だけだったので、たまたま何かをやっていた時とタイミングが合わなかっただけかもしれないが。同じCカセの生存者とここで知り合いになった。
F鯖が実装され、スコアが稼げるらしいみたいなことを聞いて自分もエルにキャラを作った。確かに両手のようなジョブはやりやすさが全然違った。連日ホルデイン本土を攻めていたが、1ヶ月もすれば飽きた。
その後Cカセに戻り、生存者の部隊 “ghost” に入れてもらう。精々5人1PT程度で小規模部隊だったが、平均的に上手く、周囲に引っ張られていったのだろうか、徐々に彼らに並ぶようなスコアを出せるようになっていく。ゲーセンでガンダムやっていた時間を割き、代わりにネカフェでFEZするようになっていったというのもありそうだ。2008年も半年が過ぎたころには多分まあまあくらいのプレイヤーにはなっていた。ちなみに当時Cカセでは壁の区にいた部隊は所謂エンジョイ部隊、森の区にいた部隊は歩兵のPS高めな層が多く、地域間での確執的なものがあったらしい。壁の区住民から森の区住民になって初めて知った。
2008年後期くらいにはCカセの強部隊は軒並み移住・消滅しており、これ以降、国家的には非常に弱い時代が続くことになる。2008年末~2009年頭くらいに“すきる☆すろっと”みたいなスレ発祥軍団みたいなのがカセに出来てかなり荒れてた記憶がある。

◆2008年環境の話
カレスを筆頭に皿のスキルは全体的に弱体化され、短剣が大幅に強化された。2007年頃の遠距離ゲー感はなかった。しかしヘルファイアやカレスはまだまだ強く、皿・ヲリ全般に対して強く出れるジャッジも強力で、戦争レベルでは以前として皿・片手主体、そこに強化された短剣を仕込むといった形が主流だった印象。
2007年から比較して全体的に尖りすぎていたところは丸くされつつも、強みは十分に残っており、逆に弱かった両手と短剣は強化され、古き良き3職時代と老人から懐古されるのはこの時代のことではないだろうか。
フォースインパクトが超絶強化されてひたすらフォースを撃つのが少数レベルではかなり強かった。
正直2008~2009あたりの調整はいつ何が来たかまじで覚えてないっす。多分これ2008の調整だったと思うのだが。
春頃に“国王介入”とかいう普段建築出来ない場所にキープが建つことがあるという新要素が実装されたのだが、これがくだらない位置にしか建たず、クソゲーにしかならないので “工作員介入” とか散々言われていた。特にゴブリンフォークの介入は最悪で発動した時点で負け確定のようなものだった。不評だったのだろう、2009年に入る頃には削除された。
この頃にオベリスクの領域ダメージが重要とされるような変更がされ、戦争で勝つためには領域をきちんと取る必要が出てきた。裏方の重要性を主張している人間と歩兵の強さが第一のスコア厨とで口論をしているような光景もよく見られた。
オベリスク建築から経過時間が建つと徐々にオベ破壊時のダメージが上がっていくというアラートという仕様も実装されたのだがその度合いが酷く、開幕から領域を一切取らずにドラゴン3体を出し、その後ドラゴンの力と合わせて敵のオベを全て破壊して破壊ダメージで逆転する “オベゼロ戦法” なるクソゲーも誕生した。当然修正対象となった。
2008年のバンク大会は非常に盛り上がっており、自分も配信を見ていた。3-3-1構成で荒らし回って圧倒的な強さで“悪魔の鉄槌”が勝利した。一方で替え玉疑惑の話があった。
フェンサーと大剣の実装が予告され滅茶苦茶盛り上がっていた。いつの間にかアサルトリリクトブレイドの話は消滅していた。
俺は強化されたフォースとバッシュ・自己追撃で戦うフォース鰤が気に入っていたが後にフォースもバッシュも弱体化され終了する。

◆2009年
自分のPSも徐々に上がってきており、この頃には国の中でもかなり上手い方になっていたと思う。フレのフレくらいの繋がりで遊ぶ人が増えた。今でもこの時代から付き合いがある人は多い。一方でC鯖の過疎化は進行していった。FEZ全体でもプレイヤー人口の偏りが目立ち始め、鎖国・鯖ブーストキャンペーンなどが行われるようになった。
PSの上昇につれて煽りの楽しみを覚え始め、とにかく煽っていた。正直、PT内で一番煽っていたまであると思うのだが、何故か敵のヘイトは常に他のPTメンバーに向いた。インする時間が少なかったからかもしれない。煽りにも満足してゲームに勝ちたいという欲が出始めた。
煽りといえばこの頃、後にLoLで“天才”と呼ばれることになるyutaponこと、当時Cネツのゆたぽんちょが一生全チャしていた。そういえば最近見なくなったなと思ったら、彼はBANされたらしい、という噂だけは聞いていた。当時はただの全チャで暴れているだけプレイヤーという記憶だったので、LoLのプロになった時は驚いた。メキシコでの戦い、応援しております。
カセはとにかく弱く、勝率4%とか行ってたのはこの時期だろうか。ゲブに一生ボコられていた。“ゲブ3軍”、“TigerStance”、“exit⇒”だったか?名前はうろ覚えだがこの3つの部隊をよく見た気がする。あとQQ、Libertyの残党みたいなの。エルソードは部隊名は忘れたが、片手雷構成で戦場を支配していた部隊があった。ELUAが “CasedriaⅡ” を作ったのも多分この頃。自分も一応参加はしたのだが、活動時間が絶望的に合わなかった。自宅で深夜にインしたところ、訓練所で活動しており、“すみません” “すみませんじゃなくてさあ、さっきの戦闘の何が悪かったのかわかりますか?”みたいな部隊チャットが流れているのを眺めていた。
それと前後してdarumasanが本気で勝ちてえ奴ら集めるみたいなこと言い出して“#怪鳥るんばるんば”チャンネルが誕生した。正直今考えると、darumasanがなんであんな真面目なプレイヤーになろうとしたのか(昔の動画でトロールしている様子とか見ると)本当に理解不能。色々やっていたが、正直darumasanの発言にあまり一貫性がないというか、自分の歩兵感とはかなり違うところがあったのでストレスが溜まることはあった。
Cカセの晒しwikiを他国民が作っており、しばらくした後に編集者IPを晒して消滅するという事件が発生する。IRCのIPから生存者が自分の部隊のページを弄っていたことが晒され隠居、事実上の部隊解散状態になる。
コレン・flakを筆頭とした無エンチャ連合の話が持ち上がり、滅茶苦茶叩かれていた。結局カセドリアは弱小国家のままだった。

◆2009年環境の話
フェンサーのフィニは実装当初、状態異常が入っているとダメージが上がるという仕様で、氷像に範囲で600ダメージ、ヴォイドが入っていれば700ダメージとか出しており相当大味なゲームが見られた。各地でフィニの硬直にフィニを打ち合う光景が見られた。自分は転職アイテムをファームするのがだるかった(転職用アイテムを入手するための狩り場待機や列形成などがあった)し、レベルを上げるのも負担だったので初期のフェンサーはプレイしなかった。後にフィニが大幅に仕様変更され、ペネ通常、タンブル、対象指定のフィニ、長射程のDD、SDで高機動高火力のジョブとしてかなり強かったが、どちらかというと小規模戦闘での狩りジョブという印象はあった。俺自身このフェンサーはかなりプレイした。自分自身では楽しんでいたし、対処法もそれなりにわかっていたので相手にする分にはあまり困らなかった。
大剣が実装されたが、最初は使い物にならなかった。後に超絶強化され、強制のけぞりランページを先に撃った者勝ちという状態だった。ランページが弱体された後もエクスが最強で、後ろに当たり判定があったりした。修正されて射程の長い範囲スマという性能に落ち着き、サービス終了まで有用なスキルであり続けた。
大剣強化のタイミングから戦場の火力役は火皿から大剣にシフトしたが、ヘルファイアは以前強力なままで大剣に対して強く出れる強みはあった。しかしヘルファイアが存在意義を失うレベルに弱体化され、その後サービス終了まで復権することはない趣味ジョブになった。一時期の火皿はファイアを連打するだけが最強とかそういうレベルだった。
カレス・ジャベの凍結時間が大幅減少、バッシュの効果時間も減少し、CCから即死するという展開が減った。
ハイド中の速度上昇・ヴァイパーの強化がされて短剣の強さが際立ち始めた。短剣に対して弱い皿は数を減らし、戦場は大剣・短剣・氷を中心に周っていた。この頃から短剣を潜らせて大剣がひたすら回るという、所謂轢き殺し戦法のような展開がよく見られた。ソードランページののけぞりにソードランページを合わせるという連携が単純かつ強力で、3人のランページで “回天剣舞6連”とか呼ばれていた。
パニが高速化し、ATで撃ち落とされない、回避が困難なスキルになり、結構面白かった。
建築に対するユーティリティをアイデンティティとしたセスタスが実装されたが強さについては微妙な感じだった。ただ回避不能のゼロゲイザー、ドレインによる回復、高速発生のファーイ、超高燃費の蹴りと通常連打と尖った物はかなり持っていた。自分も少し練習したが、対多数になると全体的にダメージのPW効率が悪い点と安定感が無さすぎて、通常連打が生きやすい僻地専用キャラという印象だった。建築破壊性能が高いので裏オベに来られると無視もし辛く、そういうスタイルならば強かったのだろう。自分は1人で裏オベに走るみたいなプレイスタイルは嫌いだったのでやらなかった。建築回復もあったので裏方を好む人間はよくやっていた印象。
銃はオイルが氷像を解凍しないという仕様で氷に連打するのがアツかった。氷とスタンに連打しているだけで30kくらいを簡単に出せた。アシッドも強く、正直かなりのクソゲー要因だった。数年後の大幅なスキル変更後もくだらないジョブであり続け、FEZで最も失敗したジョブだと思う。

フェンサー・セスタス・大剣・銃の実装、火皿の終焉とゲーム環境的には激動の時代だった。
バンク大会はE鯖の “@1”が優勝した。鮮やかに試合を決めた2008年に比べると明確な覚えがないのだが、大剣が主役だった。この頃にはバンクといえば3-3-1構成という印象だったが、とにかく大剣が強かったので4枚以上にヲリを増やす構成も見られた。
“半歩” が徐々にユーザーから認識されてきた時代でもあった。

◆2010年
この国はもう駄目だ的な話になったのだろうか、それとも人口が少なすぎたせいだろうか、A鯖の部隊戦がアツいと聞いたからだろうか。理由は覚えていないのだが、Aエルに活動の軸を移すことになった。その頃A鯖にはキャラ作成制限がかかっていたが、パスで作成可能になったっけな。Aエルにて“Iron Pudding(鉄ぷりん)”が結成される。で、活動していたのだが滅茶苦茶怒られた。なんか短剣でブレイク選択がどうとかそういう話だった気がする。 当時darumasanのキレっぷりは本当に凄くて、瞬間湯沸かし器と揶揄されていた。今だから思うが、彼がキレていた時は単に自分が気持ちよくなっていない時だったのだろうw 俺も腹が立って(内心、俺のほうが絶対に上手いと思っていた)A鯖からはしばらく離れた。(これ2009年の話かもw)
その後はCカセに残っていたフレ(煽りを楽しんでいた時代に僻地で雑魚狩りしまくってたグループ)と遊んでいた。“森の可愛い動物たち” みたいな部隊が出来ており、戦争後に“君上手いねぇ、うちの部隊来ない?w”みたいなことを言われた。そう言われると悪い気はしないもので、一緒に遊んでいたりもした。久々に大人数いる部隊に混ぜてもらって新鮮ではあった。Cカセに残っていたELUAがやっぱA鯖でやりたいみたいなことを言い出して、Aゲブで “桃色アークエンジェル” を結成。1~2ヶ月ほどやっていたか?俺が試験でゲームを離れた(中高生時代、2ヶ月に1回の定期考査があり、試験2週間前になると勉強をぼちぼち始める風潮があった)後、戻ってくると活動が消滅していた。正直明確な理由はよくわからん。飽きたのかな。“タルタロスオンライン” をメンバーの一部が滅茶苦茶プレイしていたのだけどそのタイミングがここだったっけな。あと“TERA”とかもこの辺だった気がする。
で、結局なんだかんだでCカセで遊んでいた。当時Cカセは “タマホーム” に蹂躙されていた。だが俺はタマホーム戦場が好きだった。というのも彼らはヲリ・短剣主軸のバンクプレイヤー的な構成だったので、味方が死にまくっているのを横に、俺はエクスやクランブルで結構スコアを稼げた。
その後、きっかけはよく覚えていないがAエルにヲリを作成して再び鉄ぷりんで活動。この時にはCカセからのメンバーはあまり残っておらず、A鯖で増えた部隊員が多かった。といっても規模は小さかったが。部隊名も一度変わっていたようだし色々あったのだろう。A鯖自体の部隊戦の勢いも落ち着いていた印象はあった。
結局、2010年は活動の軸を移したりしつつも、部隊活動があるタイミング以外はCカセで遊んでいた。受験だったので年が変わる頃にはしばらくゲームを離れた。2010年の最後の記憶はSANZOに “装甲悪鬼村正ってゲームが面白くてさあ!”と言われたこと。
活動時間も長くなり、休日は朝から夜までネカフェ12時間パックとかでゲームしていた。寮の門限は19時前だったが、塾に行ってくるなどの申請を出せば23時前くらいまで門限が伸びていた。門限ギリギリに帰ってきて、いやー今日も塾で一日勉強しましたわwみたいなポーズをしていた。

◆2010年環境の話
魔道具が実装され、グラビティフィールドだけ異常に強かった。結構すぐに修正された気がする。
盾皿はユニークで面白かったが、ゲーム的には結構しょーもない方向性であったので後に削除された。戦争レベルではあまり強いという感じはしなかった。いたらうざいが、自分で使うほどではない。そこそこ上手い野良が使ってたら短剣が出辛くて嬉しいかも。それくらいの認識だった。盾皿を利用した部隊活動を行っていたNobodyというプレイヤーがいて、彼(とその弟子)の発言やプレイ動画が一部の間で話題になった。当時はVCがかなり普及していたが、そこであえてのVCなしでチャットで指示を出しており、SNSの書き込みやチャットの指示の文体も仰々しくてネタにされそうな要素が詰まっていた。特に “6デッドした時点で即刻除隊とする。” という部隊規約が面白く、今でも覚えている。
この辺から半歩が戦争レベルでもプレイヤー間で露骨に問題になっており、ドラゴン半歩やら覇気半歩と呼ばれるハードウェアマクロを利用したプレイが見られるようになってきていた。テクニックかバグ利用なのかグレーなラインの技術で、半歩使用者は戦争中に全体・個人チャットで糾弾されたりした。運営は半歩に対して技術的な対応が難しいと、テクニックとして公認するようなスタンスを発表した。
結局、その後に運営が半歩を禁止すると方針転換して発表するまでの数年間はずっと荒れていた。そのせいか、公式バンク大会も数年間開催されなかった。なのでこの時代のバンク事情というのは全然わからない。

チャリオットが実装されたが、本来の輸送目的として使われていた印象はあまりなく、自軍キープ周辺での突撃が非常に強力でそちらが主体だった。ただ突撃のモーション自体は単調なのでバッシュや凍結のカウンターを貰いやすく、HPも低いのでリスクとリターンの釣り合いは取れていた部類だと思った。俺はよくチャリオットを殴ってスコアを稼いでいた。位置ずれが起きやすいという点だけはいただけなかったが。

◆2011年
俺は浪人していた。まあ勉強していないのだから当然である。俺の行かされた予備校は俺の高校では大変に評判が悪く、“欲しがりません勝つまでは” みたいな感じで生徒に制限をかけまくって無理やり勉強させる、そういうスタンスの予備校だった。で、予備校が朝~15時くらいまで平日は毎日拘束時間があったので、それ以降にネカフェから夜までログインする感じだった。この頃にはC鯖の過疎化は本当に酷く、1戦場も出来ない時間というのが普通にあった。1国に良くて100人程度しかおらず、夜でも2、3戦場埋まらないレベルだった。
FEZ全体としてF鯖への人口の一極化が進んでおり、Fゲブにキャラを作成した。Aエルの部隊繋がりで増えたフレとよく遊んでいた。部隊長のリアルが多忙になったとかでA鯖の活動は終焉していた。Cカセでghost時代からの付き合いのHavendaleが部隊を作っていたので参加してたが、C鯖は日中は人がいなさすぎて。そういう時間でF鯖のプレイを堪能していた。F鯖以外で鯖合併というニュースが流れ、合併後はF鯖の活動はほぼ終了した。
F鯖では完全にスコアプレイに専念というか、ただ敵を殴って遊んでいた。結局のところ、こういうスタンス(そこそこ上手いフレンド同士でPTを組んで適当に歩兵戦)でやるのが一番ダラダラとFEZを楽しめていたのは間違いない。FEZ自体の勢いも落ちてきており、2010年以前と比べると全然ドラマが無かった。俺自身もこの頃からネカフェにいても戦争行かずにダラダラしている時間とかが増えた。“鉄鬼”とか結構面白かった。ただ高校卒業してリアルの友人が周辺にほとんどいなくなり(浪人生は沢山いたが皆とは別のところに行っていた)、ガンダムすることがなくなったりしたので遊びは事実上ネトゲかオフゲーのみだった。

◆2012年
俺はまだ浪人していた。まあ勉強していないのだから当然である。親を説得し、都会の予備校で寮生活していた。予備校の授業には1週間で出なくなった。予備校のラウンジで昼まで自習し、それ以降は都会を散策する、もしくはネカフェに行くというパターンで生活していた。
J鯖は俺が昔動画をよく見ていたプレイヤーと出会えることがあり、なかなか楽しかった。高スコアプレイヤーで昔よく動画を上げていたのはB・Dのプレイヤーが多かった。ゼロットが声をかけたらどんな時間でも一緒に遊んでくれた。ゼロットの謎の人望なのかよくわからないが、土日の昼には1PT10人普通に集まってゲームしていた。頭に載せてる部隊名が皆違ったりしていたので相手からは認識出来なかっただろうが、今までのFEZで一番長期間、大人数で活動していたのはこの時期だろう。選別されたメンバーとかでは全く無いのだが。俺自身もスコアプレイヤーとしてはこの時代が最強だったと思う。10人PTというのもあるだろうが、かなりの高スコア(当時基準)を連発していた。土曜日に“烏合の衆” の部隊長?が定期で訓練を開催していたりしたので、フレンド数人で銃スカ持っていくと翌週から銃が禁止になったりもした。
“PSO2” がサービス開始し、別ゲーやったり雑談の頻度は更に増えた。

◆2011~2012年の環境
とにかくF鯖への人口一極化が凄まじく、F鯖>他の5鯖の総計というレベルだった。元々F鯖は適当に歩兵を殴って遊んでいるだけの他鯖プレイヤーばかりで構成されていたイメージが強く、この頃にはFEZというゲーム自体が適当に歩兵で殴り合うだけの遊びにシフトしていた。過去の部隊戦のような話は自分は一切聞かなかった。
鯖統合後は再び3鯖に散り、元々の鯖で強かった部隊はそれなりに纏まって行動していた印象はあるが、やはりFEZというゲームが歩兵で殴り合うだけのゲームになった、という感じは拭えなかった。
細々としたスキル修正はあったかもしれないが、あまり環境的には大きく変わらなかった気がする。

2012年には久々に公式バンク大会があり、正式なチーム名は覚えていないのだが “Clotho”と呼ばれていた集団が圧倒的な強さを誇っていた。この頃のバンクはとにかくClothoが最強みたいな話をよく聞いていた。強すぎて誰も練習相手になってくれない、みたいな。大会を見た記憶としては、弓を利用したコスト削りなど、ゲーム全体がより堅実な戦い方にシフトしていた印象がある。

◆2013~2021年
俺は大学生になっていた。人生の中で始めて何の制約もないタイミングが訪れ、タガが外れたようにFEZをプレイ!・・・しなかった。FEZには飽きていた。バンクエットに挑戦しようかと思ったが、この頃にはバンクもかなり衰退していたというか、プレイヤー数を減らしてかなり閉鎖的な環境になっていた印象があり、1人でそこに入っていくほどの熱意は無かった。
だがせっかくということで初めて自分で部隊 “Freesia” を結成、2008年~からのフレンドの身内部隊みたいなもんだったが、一応掲示板で募集もしていた。歩兵を殴ることに関してはそれなりに上手い集団であったので、そういうプレイヤーが何人か部隊に入ってくれたりはした。Skypeのグループの参加人数を見る限り、総勢30人くらいいたので1PT規模くらいでは活動出来てたのだろう。しかし結局FEZに飽きていたのであまり長く活動は続かなかった。
俺は去年から誘われていたLoLを始めた。FEZはプレイしなくなっていた。FF14もサービスを開始した。日本人のLoLプレイヤーには元FEZプレイヤーが多く、LoLのフレンドがFEZ時代の知り合い伝いで増えていった。FEZプレイヤーは皆LoLやFF14、PSO2に流れていった。
FEZ自体は昔の様に自分1人で黙々とやろうとは思わないが、意欲的なフレがいればなんだかんだで付き合う程度にはこのゲームを好きだった。2014、2015、2017年は1~2ヶ月くらいFEZを集中してやっていた。

2017年秋~冬頃に、リリス・ボルテックス・スペルが立て続けに実装され、俺の中で完全にFEZは終わった。特にスペルの実装はたまーに1~3戦くらいやる俺のようなプレイヤーには致命的だった。スペルのために課金するような熱意はなかった。昔からのフレンドも多分皆同じような感想を抱いていたのだろう、誘われることもなくなった。年末年始のような節目のタイミングでFEZをやろうよ、と声をかけられたりしてノリでプレイするものの、実際に1戦やるとスペルによるキャラ性能の差が露骨にしんどく、1戦したら来年までやらなくていいなと思うようなゲームになっていた。戦争時間が過去と比較して露骨に短くなっており、スペル実装により戦場全体の火力が増えたことも合わさっていたのだろう、主戦場レベルで遊ぼうと思うと短剣以外ではかつてのような高スコアを出しにくく(敵がすぐに死ぬ)なっていた。元々スコア厨が原点なので、やはり結果がついてこないとモチベも下がる。かといって、そこで新たに練習をするほどのモチベーションはもはや残っていなかった。
毎年、いつ終わってもおかしくないなこのゲームは、と思っていた。年末を迎えるたびに、今年も何とか生き残ったか、と。

◆2013~2022年の環境
気付けばフェンサーとセスタスに仕様変更が入っており、かなり別ジョブになっていた。
フェンサーは最強のSDや通常、DDなど強みの多くを失っていたが、新規追加されたデュアルストライクとルーンが結構強かった。特にデュアルストライクはエクスを更に燃費良くした感じのスキルで、一生これでツンツンするのが楽しくて俺はフェンサーを結構プレイした。ペネからキックの確定コンボなどもあり、以前のフェンサーとは別物ながら独自の楽しさを持っていた。徐々に弱体化がされて面白くなくなったが。
セスタスも大幅な変更がされて、より戦場で立ち回りやすくなっており一時期はゲイザーに強制のけぞりがついたりしていてかなり強かったのだが、割とすぐに弱体化された。瞬間火力こそヲリ並みにあるものの、全体的にPW効率が悪い点が目立ったので俺はプレイしなかった。
いつだか覚えていないがバリスタが実装された。最初異様に硬かった気がするが、後にヲリで殴ると普通にダメージが入るようになり、しかもPC与ダメ扱いだったのでヲリでスコアを出すにはバリスタを殴るのが簡単で早かった。
レベルキャップが45に開放されて新スキルが実装されたが、全体的にパッとしなかった。短剣がダガーを投げるスキルだけは明らかに強く、特にのけぞる近接ジョブに対してはかなり効果的だったがすぐに弱体された。
大剣の前進エクスのようなスキルは俺は当時弱いと思っていたのだが、最終的にはそれなりの性能に落ち着いていたようだ。雷皿のスネアがつくスパークが強いタイミングもあったが、これもすぐに弱体された。弓が後ろに逃げるスキルも滅茶苦茶移動して強かったが弱体。とにかくこの時代あたりからは弱体調整ばかりだった印象がある。
2015年だか16年だかに最後の公式バンク大会が開かれた。2012年から更に様子は変わっており、ピアを上手いこと使っていたチームが優勝した記憶がある。その後、ピアは弱体化されたw ピアは長いこと強すぎたので俺は妥当だと思った。
2017年の夏頃にメテオが強化され、最強だった時代(前記事の動画参照)があった。撃ってる方は結構面白かったが、クソゲーであったことは疑いようもなく、1ヶ月ほどですぐに弱体された。
その後リリスとボルテックスが実装。リリスは足が早く、遠くから地面発生で延々と火を打ち続けてくるだけのくそしょーもない召喚獣で、多分何度か弱体されてる。ボルテックスも地面から回避不可能な攻撃で操作反転デバフを延々と連打するだけのくそしょーもない召喚獣で、不快感の塊だった。この2体の実装でクソゲーと感じる度合いは増えた。
スペルもその後すぐに登場し、2段重ねのエンチャという純度100%の集金システムだった。

◆2022年
2022年、とうとうサービス終了が発表された。サービス終了発表直後にゲームしようよ、と声をかけられプレイしたが、やはり面白いゲームという感じはしなかった。以降の3ヶ月、結局ゲームを起動しなかった。
最後の2日、ログインした。スペルが無料配布されており、戦争自体は悪くなかったように思えた。もしかしてスペルをきちんと課金していればまだ楽しいと思えるゲームだったのかもしれない。ただ結局、FEZ自体が楽しいというよりは皆でワイワイするのが楽しい、という感じだった。サ終前日は鯖に5~6000人とかいて、完全にパンク状態で、蔵落ちが頻発してあまりまともにゲームする感じではなかった。
最終日はCカセ時代から存在する “Love&Fight” と同じ戦場になったりして、結構嬉しかった。俺が始めた時から存在した部隊だが、最後まで俺とは交流がなかった。一緒にPTを組んだことさえない人がほとんどだ。だが同じCカセ村の出身と最期の時に出会えるというのは良いね。まああっちは俺のことなんか知らないかもしれないが・・・

サ終1時間前
画質がクソ悪いのは俺がウルトラワイドでやってて録画OBSの設定をTwitch用の16:9のままにして潰れてるから、多分

サービス終了直前には “今蔵落ちしたらもう戻ってこれねえぞ!” って感じで戦々恐々としつつ、首都の様子を眺めていた。

サ終直前の様子
2022年9月28日15時01分、ご臨終です

長い旅路を終えた。

◇おわりに
多分書き忘れてることとか間違ったこととか書いてるかもしれんが、情報を精査とかしていると時間かかりそうなのでこの辺で。あんまり長くすると鮮度が無くなるし。

15年間お疲れ様でした。特にC鯖の皆様。
そんなずっとログイン出来てたわけじゃないので、かなりレアキャラ寄りだと思うんですけど、僕のことを戦場で見かけた際に、あの人いるな~みたいに認識してくれていた方がいれば嬉しい限りですね。スタート地点がスコア厨なのだけど、真面目にやってる時も適当にやってる時も歩兵の動き自体はそんなに変わらないようなプレイをしていたとは思っている。
しかしこうして本当に終わってしまうと、思っていたより惜しいというか、喪失感があるな。文字通り自分の半生だったのだろう。楽しいゲームだった。

FEZ2でまた会いましょう。

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