祖父が危篤らしい

唐突に連絡が来た。母の父である。

正直な所、面倒だな、という気持ちが第一に来た。
今年の年末年始は実家がどう、とか親族の集まりがどう、みたいなしがらみから逃げられる方便があるのだ。
2月の国家試験への準備という名目だ。実際、結構大事な時期だ。余裕があるわけではない。まあ勉強自体はスマホやipadさえあればどこでも可能だが、車で1時間かけて実家に帰り、電車で2時間かけて空港に向かい・・・なんてことを考えたら面倒だ。
死ぬのは2月の試験が終わるまで待ってくれ・・・というわけにもいかないのだろう。

僕は今まで2親等範囲での親族の死を経験したことはない。葬式というものに出た記憶があるのは2回くらいだろうか。誰の葬式かわからないので、僕と直接の関係はない人だったはずだ。
曾祖母の家のイメージは少し残っているが、あまりにも幼かったせいか葬式の記憶はない。

つまり、身近な人間の死は今回が初めて、といっていいだろう。(まだ死んではいないが)

母の父、身近な人間ではあるはずだが、正直そこまで印象がない。
僕の印象としては、何をしてるかよくわからん人、である。
まだ働いていた頃は、僕の記憶が確かなら最後はNTTドコモの支店長・・・?として働いていた、はずだ。
が、祖父が倒れたその日にベッドに広げられていたらしいスクラップ帳によれば、オルゴール館なるものの館長を以前にしていたようだ。
NTTドコモとオルゴール館の館長、この2つの結びつきが社会経験のない僕にはどうも想像できない。

母の母は看護師だ。父の両親は10年ほど前までガソリンスタンドを営んでいた。が、母の父が何を生業として生きていたのか、まったくわからないし、語られているのを聞いた記憶がない。
そもそも祖父と話した記憶がほとんどないのだ。
祖父の思い出といえば・・・まだ彼が働いていた頃は、イオンの中にあるトイザらスで僕や従兄弟にデュエルマスターズの箱を買ってくれた。FFTAやポケモンサファイアも買ってもらったはずだ。そしてイオンのフードコートで皆で食事をして帰る。お盆の墓参りなんかは一緒に行くことが多かったはずだ。

僕が中学生になる頃には、一緒にでかけるようなことは完全に無くなっていた。
祖父と祖母は同じ家に住みながら、別居しているような生活だった。
祖父は2階の自室に1日中籠もっていた。祖母や母が寝室に移り、僕が1階のリビングに1人残って勉強やらゲームをしていると階段を降りてきて、冷蔵庫の水をコップに汲んでまた部屋に戻っていく。そこで“やあ、来ていたのか”みたいな軽い一言だけ交わし、また彼は自室に戻る。今振り返ると、彼は完全に祖母が寝室に入った時間帯でしかほとんど姿を表さなかった。
食事も一緒に取ることは何度かあったが、ほとんどの場合、彼はスーパーで弁当や惣菜を買って自室で食べていたはずだ。自室に炊飯器が置いてあるのだ。
要は、祖母と祖父は仲が悪かった。悪かったというか、もはや無関心を互いに貫いている、みたいな印象だ。
声を荒げて口喧嘩をしているようなシーンは見たことがないが、互いのやり取りは最小限。まあそれも夫婦のあり方の1つの到達点なのかもしれないが、個人的に仲良くはないだろうな、という感じだ。10年くらい前に家を売ると言い出して揉めていたらしい。

母も祖父に対して、帰省した際に積極的にアプローチをしにいく、という感じではなかった。
どうも、母や祖母の話によると、祖父は昔は相当怒りっぽい性格、家父長主義の体現者だったらしい。
早く死んでくれないかな、みたいな言葉も冗談かどうかは置いておき、結構な頻度で二人から聞いたと思う。
つまり、祖父は僕の観測している範囲だと孤独な人間だった。
といっても、本人は日中はスポーツクラブで運動に勤しみ、自転車で近所のスーパーに行き、自室では株価を眺めたりTVを見たりと、結構思うがままに自分の老後を満喫していたんじゃないかな、という印象だ。
そして早く死んで欲しいと周囲が願っているにも関わらず、本人は生き汚いというか、しぶとく生き残りそうな雰囲気を漂わせている、というのが周囲の評価だった。

が、そんな彼が僕の祖父母の中でも最速で死ぬことになるようだ。
3,4年くらい前だっただろうか。脳卒中で運ばれた、という知らせを受けた。郵便局に自転車で向かっている途中だったらしい。命に問題はなかった。が、どうも脳血管性の認知症を発症したようだった。結局、彼がそれ以降自室に戻ることはなかった。当たり前だが祖母1人に介護など出来るはずもない。病院では、どうも夜間に暴れたり、異常行動をしていたようで、追い出されては別の病院に移る、みたいなことを繰り返していたようだ。医師側も暴れられると困るので、鎮静をかけるような処方をする。結果、彼は一日のほとんどをベッドで過ごす。すると、身体機能も認知機能も加速度的に悪化していく、結果せん妄やらを起こしやすくなり、鎮静・・・と、どうしようもないループの完成というやつだ。
鎮静したら悪くなるに決まってるじゃん、と母は怒っていたが、クソ田舎の要介護老人ばかりの病院なんかそんなもんだろうな、という気持ちが僕の中にはあった。じゃあ家で面倒みるか?不可能。嫌なら出ていっていいよ、みたいな。

母は子供が全員家から出ていったからだろうか、少なくとも2ヶ月に1度くらいは帰省して様子を見に行っていたようだ。元気な時は早く死んでくれた方がいい、と言っていたのに、やはり実際に死にそうになっていくと気になるのだろうか。

僕も去年の3月頃に一度会いに行った。祖父は最後に見た時と比べて痩せ細っており、僕を見てそれが僕だとは認識できなかった。僕の名前は覚えていたようだが。生前会うのはこれで最期だろうな、と確信を抱いた。
あれから2年近くが経っている。正直しぶといな、という印象だ。3,4年の入院ということは相当金がかかっているはずだ。母や祖母が今彼をどう思っているかは知らない。昔はそんなことを言うなんて酷いな、という気持ちがあったのだが、今の僕は早く死んだほうが良いだろうな、と考えている。多分これを母親に言ったら相当怒られるんだろうな。妹は葬式があるならずっと泣いてそうだ。
僕にも哀しい、寂しい気持ちは少なからずあるが、彼はもはや金銭的にも精神的にも負担でしかないし、今後彼が生きていても、僕はそれに意味をほとんど見いだせない。やはり死ぬべきだろう。

と書いていたら、母から“少し持ち直したらしい” と連絡が来た。
今後、また母から“また状態が悪くなった” “持ち直した” みたいな連絡が何度も来るんだろうな。やはり面倒だ。
僕にとって祖父は既に死人で、後は実際にそうなるのが遅いか早いかだけの違いでしかない・・・

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